次は那覇空港付近にある海軍壕公園に行くことにしました。それで、ひめゆりの塔を出て、国道331号線を那覇空港方面にレンタカーを走らせました。レンタカーで約40分で到着しました。
海軍壕公園は、那覇市と豊見城市の境界に位置します。その場所は、那覇市中心部より南へ3キロの清閑な住宅地に囲まれたところにあります。太平洋戦争末期、日本海軍の司令部が置かれ、縦横に堀めぐらされた地下の堀の中で、多数の将兵が玉砕しました。
海軍壕公園は、昭和47年度に都市計画が決定され、戦跡の公園として整備されました。
海軍壕公園は、那覇市の南西の豊見城丘陵にあり、東シナ海、南部市街地、首里城が展望できる位置にあります。首里王朝時代には、中国や薩摩からの船の入港を知らせる「ヒパンムイ」があった場所です。
また、第二次世界大戦末期には日本海軍の司令部壕がおかれ、激しい戦場となりました。
現在では、沖縄から世界に向けた平和を発信する戦跡公園として整備され、交流や憩いの場として、観光客や広く市民に親しまれています。
下の写真の慰霊塔は、昭和33年、沖縄海友会ならびに海軍戦没者慰霊の塔建立発起人によって建立されました。また平成20年10月に社団法人沖縄海友会(現 一般社団法人沖縄海友会)により外観の補修工事が行われました。この慰霊塔前広場からは、首里城や南部市街が見渡せます。
昭和19年(1944年)、日本海軍施設隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕で、当時は全長約450mあったと言われています。かまぼこ型に堀抜いた横穴をコンクリートと坑木で固められていて、米軍の艦砲射撃にも耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の塀が収容されていました。
戦後しばらくは放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集の後、昭和45年(1970年)3月、観光開発事業団によって司令官室を中心に300mが復元されました。
旧日本海軍によって掘られた壕が当時のまま残っています。戦争の事実を今に伝えられる貴重な資料として整備、保存されています。
「壕入り口」の看板があります。
ここから、豪の中に入ります。
旧日本海軍司令部壕の入り口から入ると、すぐに長い下りの階段があります。その階段、105段、20mほどの階段を降りると、そこには通路が縦横に張り巡らされた壕内へと続きます。
長い降り階段を降りると、右手に「信号室」が見えてきます。
先の信号室を出て、少し行くと作戦室への分岐がありました。それで、壕の順路は右ですが、分岐を左に行き、作戦室を見学することにしました。
作戦室はかまぼこ型の部屋です。部屋の奥には、戦時中の作戦を練る様子のイラストが壁に掛けられています。
また、左側の壁には、ボードが張られていて、そこにはこのように記されています。「作戦を練る重要な部屋でコンクリート・漆喰で固めた当時のままの部屋です。」と。
次に見学する幕僚室への誘導する作戦室右奥の赤い矢印の一部が写真右に写り込んでいます。
作戦室を見学後、次の幕僚室を見学するために作戦室右奥にある赤い矢印の指示に従い、細く階段のある通路を通りました。
そして、左上の写真には、「当時の配電用碍子」の白い看板が掲げられています。
また、右上の写真には、細い階段を上る通路が写っています。この旧海軍司令部壕は平らではなく、起伏があります。